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中田英寿選手の残した伝説とは?あのトッティとスタメン争い?

中田英寿選手をご存知でしょうか?言わずと知れた日本サッカー界のレジェンドの一人です。今もなお語り継がれる功績をもっています。マイアミで奇跡を起こし、ジョホールベルで世界への切符を初めてもたらしました。20才以上の方でしたらほとんどが知っていると思いますが、実は大学生以下の若い世代の中には、知らないという方もちらほら見かけます。日本サッカー界では屈指の知名度を誇る彼ですが、ここで再度中田英寿選手のサッカー界に残した伝説について、まとめてみたいと思います。

 

 

中田英寿選手とは?

 

名前:中田英寿(なかたひでとし)

出身地:山梨県甲府市

生年月日:1977年1月22日(現在42才)

身長:175cm

体重:72kg

ポジション:MF(ミッドフィルダー

中田英寿選手は小学生3年生、8歳の時に当時はキャプテン翼の影響でサッカーをはじめました。中学生の頃にはU-15日本代表に選抜され、それ以降は、U-17W杯日本代表・U-20W杯日本代表、アトランタオリンピック日本代表、シドニーオリンピック日本代表、W杯日本代表と順調に選出され、結果を残してきた。実は、初めてU-15日本代表の選抜されたとき、関東選抜の一員であったがレギュラーではなかったため、落選するだろうと思われていた。しかしスタッフに選考理由を尋ねると、「世界で戦うには、少しばかりのテクニックよりもフィジカル面の強さの方が大切。技術面では中田君より上の選手はたくさんいるが、フィジカル面の強さでは、彼はいいものを持っている。そこを評価した」とおっしゃったという。つまり、中学生の頃からテクニックがずば抜けていたわけではないという意外性と、類まれな強靭なフィジカルを持っていたということです。

 

プロ入りから引退までの活躍

 

U-17とU-19のおいて別格の活躍を見せた中田英寿選手は、プロから注目され、Jリーグに加盟する全12クラブ(当時)のうち11クラブからオファーを受けました。それを経て平塚ベルマーレ(現在の湘南ベルマーレ)へ入団しました。以下は高校生の時の中田英寿選手の写真です。この時からすでに当時のインタビューでは、「ヨーロッパでプレイしてみたい」という思いを言葉にしておりました。

 

当時高校生の時の中田英寿選手。Photo by "NEWSエンタメライン"

 

 

ベレマーレに入団当時から期待通りの活躍を魅せ、すぐにベルマーレでの主力選手として活躍しました。19才でU-23の日本代表としてアトランタオリンピックに出場し、20才で日本代表に初選出されました。そしてマイアミの奇跡で日本代表をW杯初出場に導く活躍を見せ、若くして日本代表の司令塔として君臨しました。21歳になると、そんな活躍から、イタリアセリエAペルージャに移籍を果たしました。当時世界最高峰のセリエAにて、デビュー戦で強豪ユヴェントス相手に2得点を挙げる衝撃的なデビューでした。ペルージャの中心選手として10ゴールをマークし、イタリアの有力スポーツ誌グエリン・スポリティーボが選出するセリエA初年度の外国人選手を対象にしたセリエAサプライズ賞に選ばれるなどの非常に高い評価を得ました。

 

ペルージャ当時の中田英寿選手。Photo by "サッカーダイジェスト"

 

 

その後、当時セリエA首位のローマへ移籍し、世界最高峰であったジダンなどを擁するユヴェントスとのアウェイでの王者直接対決で2点差を追い上げる活躍を魅せ、リーグ制覇に貢献。しかし、1998年のフランス大会から2002年の日韓大会、2006年のドイツW杯を全て戦った中田英寿選手でしたが、2006年ドイツW杯のブラジル戦敗退後に電撃の引退報告によって、現役生活に幕を閉じました。後日引退理由については、「ケガは全く関係ない」とケガの疑念を否定し、「僕にとってサッカーは人生であり、家族のようなものでもあります。楽しくてやっていたはずのサッカーを楽しめなくなってしまった。それが自分の人生に対する裏切りだと感じたんです。だから、自分に嘘をついてまで続けたくなかった」と本当の理由を明かしています。

 

何がすごいの?

 

果たして中田英寿選手のどこがこんなにすごいのでしょうか?その秘訣には、大きく3つのポイントがあります。それは、「フィジカル」「パスの精度」「判断力」です。

 

【フィジカル】

 

まずはこちらの動画をご覧ください。中田英寿選手の日本人離れしたフィジカルがわかるかと思います。屈強で大きな海外の選手たちと競り合っても負けず、場合によっては吹き飛ばしてしまうほどの強さを持っています。なんと体脂肪率は当時3~4%だったそうです。また、その強さだけではなく、なかなか倒れない体幹のあるボディバランスも高く評価されていました。世界のどんな選手からタックルを受けても転ばずに戦える日本人選手は、今でも多くはいません。これが中田英寿選手が海外でも臆せず戦えた一因となっています。

 
 
【パスの精度】

 

 

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