SportsLab サッカー部のブログ

スポーツニュースメディアSportsLabのサッカー部です。海外サッカーからJリーグ、日本代表まで幅広いコンテンツの記事を更新しています。また、https://sportsla.site をぜひご覧ください

中田英寿選手の引退から現在までを追う

こんにちは。みなさん、中田英寿選手をご存知でしょうか?多くの方は彼の日本代表でのプレーや、イタリア・セリエAでの偉業に当時は胸を躍らせたと思います。若い方の中には、名前は知っているけど実際どんなひとか知らないような方もいるかもしれません。そんな方はこちらをご覧ください!レジェンド中田英寿選手が残した日本サッカー史の功績を紹介しています。

さて、今回は、そんな中田英寿選手の引退から現在についてフューチャーしてみました。

それでは参りましょう!

 

いつ?なぜ?引退したのか

 

Photo by サッカーキング

 

 

中田英寿選手は2006年7月3日にブログにて突如引退を表明しました。

これは同年に開催されたドイツW杯を戦い抜いたあとすぐのタイミングでした。

当時の日本代表は、中田英寿選手を中心に3大会連続でW杯に出場していましたが、クロアチアやブラジル、オーストラリアといった強豪国と同じグループに入った末に、2負1分でグループリーグを敗退してしまいました。

終戦のブラジルとの試合直後に顔にタオルを当てながらピッチに倒れこんでいた中田選手の映像は、印象に残っている人も多いと思います。

この敗戦後すぐに、中田選手は引退を発表したのでした。以下、中田英寿による“引退メッセージ”全文です。

■人生とは旅であり、旅とは人生である”

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U-15、U-17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長させてくれた。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”が
きっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”
                                         ひで

以上が全文になります。29才という若さでピッチを卒業し、新たな自分探しの旅へ出た中田選手のコメントは日本中、いや世界中に衝撃が走りました。

あの世界的に有名な元イタリア代表デル・ピエロ選手が

残念なことだ。まだ若いので、後悔するのではとも思う。考え直すように、電話で説得するよ。」と語ったり、

元日本代表監督のイビチャ・オシム監督が

彼以上の選手を見つけるのは難しい。彼はまだ若い。再びプレーするのであれば、代表に入る余地はある」と語るほど世界に衝撃を与えたといっても過言ではありません。

また、イギリスのガーディアン誌でも「20代で自ら引退したフットボーラー」という特集記事でも真っ先に紹介されており、

全ての人が彼を小さな宝石と呼んだ」
「偉大な功績の一方、バロンドールに3度ノミネートされた中田は、クロアチア(実際はブラジル)との2006年W杯最終戦の後に29歳で引退を発表して、より大きな喪失感を残した。世界中が唖然とした

と取り上げられており(他にも有名なイタリアやスペインのサッカー誌でも同様)、世界的なビッグニュースだったことがわかります。

 

なぜ引退したのか?

 

中田英寿選手は、後になって引退の真相を初告白するとともに、現役復帰の可能性もあったことを初めて明かしました。

インタビューを受けた中田選手は、引退会見を行わなかった理由について「引退会見って逆に、する人ってそんなにいるの? ヨーロッパで引退会見って見たことある?」と説明しました。けがが原因での引退だったのか問われると、「あの時はもう治ってたし、肉体的にどうこうということではない」ときっぱり否定しています。

 

 

続きは→ https://sportslab.site/premium_blogs/14/preview こちらで無料でご覧になれます!ぜひ!