SportsLab サッカー部のブログ

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アダマ・トラオレを巡って三つ巴?注目の今冬サッカー移籍ニュース総まとめ!〜海外編〜

こんにちは!2019年のサッカー界は、グリーズマン選手のバルセロナ移籍や、エデン・アザール選手のレアル・マドリード移籍などのビッグニュースが色々ありましたが、2020年も多くのビッグニュースがあるといいなと期待しています。東京五輪で活躍した若手選手がスカウトの目にとまり、ビッグクラブへ移籍なんてこともあると思います!個人的にはネイマール選手やムバッペ選手の去就がきになるところです。

そんな中、今回は直近の海外サッカーの今冬移籍ニュースをまとめていきたいと思います!それでは早速参りましょう!

 

【確定】南野拓実選手、リヴァプール完全移籍

 

Photo by フットボールZONE

 

 

日本人としてはかなりのビッグニュースです!なんと、オーストリアザルツブルグに所属していた南野拓実選手のリヴァプールへの完全移籍が決定しました。

リヴァプール側が公式で、2019年の12月19日に南野拓実選手の移籍を公表しています。背番号は「18」に決まりました。南野選手はこれでクラブ史上初の日本人選手となり、イギリスの地元紙『リヴァプール・エコー』によると、契約解除金725万ポンド(約10億3000万円)を支払っての獲得となったそうです。

南野拓実選手はこれを受けて、

「ずっと夢でした。リヴァプールの選手になることは僕の夢です。そして夢がかなったことにとても興奮しています。プレミアリーグでプレーすることが僕の目標の一つで、ここは世界トップクラスのリーグです。サッカー選手としてのキャリアが順調にいけばいつかプレーできるようになると思っていましたが、このチームでプレーできるようになるとは思ってもいませんでした。本当に嬉しいし、楽しみにしています」と喜びをあらわにしており、クラブについては

「(リヴァプールと対戦したチャンピオンズリーグの)試合からこのチームは非常に高いテクニックと集中力があると思いました。サッカーは非常に高いレベルにあり、彼らはCLの王者です。このチームでプレーできることは本当に幸せです。このチームのメンバーになれたことを本当に嬉しく思います」

「(リヴァプールと対戦したチャンピオンズリーグの)試合からこのチームは非常に高いテクニックと集中力があると思いました。サッカーは非常に高いレベルにあり、彼らはCLの王者です。このチームでプレーできることは本当に幸せです。このチームのメンバーになれたことを本当に嬉しく思います。僕の目標はチャンピオンズリーグプレミアリーグで優勝しチームに貢献することです」

と語りました。実は、リヴァプールザルツブルグチャンピオンズリーグ予選の第二節で直接対戦しており、欧州王者のリヴァプール相手に1ゴール1アシストという結果を残し、王者を脅かしました。リヴァプールのクロップ監督はこの時からすでに南野選手の獲得を狙っていたのではないでしょうか?

リヴァプールは今期クラブW杯での優勝や、カップ戦やチャンピオンズリーグでも結果を残しており、プレミアリーグではここまで19勝1分けで勝ち点58の首位独走状態です。

このまま無敗記録が続くか注目されていますが、そんな”今世界で最も強いクラブ”に日本人が移籍したのは驚きです。

そして、1月5日に行われたFAカップ3回戦のエヴァートンとの“マージーサイド・ダービー”では初の公式戦デビューを果たしています。

試合内容も今後に繋がりそうなポジティブな側面も大きく、クロップ監督も「スーパー。素晴らしかった。まさしく我々が求めていた選手」と試合後南野選手に対して語っています。

まだチームでの連携や選手間での信頼など、これからな部分はありますが、クロップ監督は選手を成長させることができる監督ですので、今後の活躍に期待ですね。ドルトムント時代の香川真司選手もクロップ監督のもとで頭角を表し、マンチェスターUへ移籍しました。

 

【確定】イブラヒモヴィッチ選手、ACミランへ移籍

 

 

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日本はFIFAランク9位だった?FIFAランクの歴史と推移を解説!

こんにちは!今回は過去の日本代表のFIFAランキングの変遷について紹介していきたいと思います。

「いつの日本代表が一番強かった?」といった話題がよく上がりますが、それを示す一定の指数としてFIFAランキングを見ることによって、

これまでの日本代表の世界的なレベルと現状の位置を確認したいと思います。

ただし、私自身はサッカーに限らずほとんどの競技で、日本代表の力はアップデートされていると信じています。

もちろんその競技自体が盛り上がり、国内での競技人口が増えている状態で、資本が集まる状態であることは前提とは言えますが、

時代が経つにつれ、資本が集まることで施設が充実し、インターネットによって情報がフラットになることでいつでもトップレベルの試合にアクセスできる現代の世界では、よりプレイヤー同士が高いレベルで切磋琢磨できるため、自然と技術が磨かれていく好循環が回っていくと思います。

また、FIFAランキング自体も必ずしも絶対的な強さを示す指数ではありません。対戦国同士の相性もありますし、日本代表もこれまでに

マイアミの奇跡でブラジル代表を撃破したり、強豪アルゼンチンやフランス代表への勝利を記録したこともあります。

また、ヨーロッパの国々が優遇されやすいこともありますので、あくまでも一つの目安として考えてもらえたらなと思います。

 

FIFAランキングとは?

 


Photo by Tavitt Football

そもそもFIFAランキングとは?を完璧に説明できますでしょうか?説明はできても、その決定方法や基準まで把握している人はそう多くはありません。まずは、FIFAランキングについて説明したいと思います。

 

FIFAランキングとは
 

サッカーファンにはお馴染みの同ランキングは、国際サッカー連盟 (FIFA) により発表されるランキングです。

1993年から発表が始まり、FIFAに加盟する各国・地域の男子Aナショナルチームが対象になっています。

1993年に開始されて20年以上の歴史を持ち、順位算出方式が2度改定されているのはご存知でしょうか。

そしてFIFAランキング約1カ月に1度更新されます。2020年1月現在、最新では2019年の12月19日に更新されています。

最新のFIFAランキングでは、日本は前回から変動なしの28位でした。

FIFAランク1位はベルギー、2位はフランス、3位はブラジルという並びになっています。

日本はアジアカップで好成績を残したことが反映され、アジア首位になっています。

33位のイラン、40位に韓国、42位にオーストラリアと続いています。

 

FIFAランキングの算定方法

 

FIFAランキングは1993年に始まりましたが、当初の算出方法はかなりシンプルなものでした。
それは対戦相手のレベルや大陸、試合形式に関わらず、「勝利すれば3点、引き分けなら1点」で加算し、さらに試合数によって割ることもありませんでした。

そのため試合をすればするほど、しかもその相手が格下であるほど得点は積み上げっていくため、かなり不公平なものでした。

実際の国の強さとはかなりかけ離れたもので、

日本代表もそのシステムにおいて、1999年2月と3月にFIFAランキング9位と過去最高順位になっています。

今では考えられないですよね。。

 

しかし、このシステムが続いたのは1993年から1999年まででした。当初の算出方法では、実際の実力とランキングがかけ離れていたため、

より現状に近いものとなりました。ただし、この頃の算出方法は現状よりもより複雑なものでした。

まず、過去96ヶ月のなかで、12ヶ月ごとに8つに分割し、試合で獲得したポイントを直近から1.0倍,7/8倍,6/8倍…1/8倍と補正をかけます。

そして分割した12ヶ月の間に行った試合のうち、ポイントが高い試合から数えて7試合のみが採用され、合計のポイントの高い順に順位がきめられます。もちろん偏りを防ぐために、現状の試合ごとの重要度設定や大陸による偏差などの工夫はされていました。

しかし、現状よりも試合の重要度の幅が小さく、親善試合1.0に対して、ワールドカップ本大会が2.0となっていました。

また大陸連盟による係数の幅が小さく、当時のアジアは0.90でした。(現在は0.85)

試合ごとのポイントに、得点による加算、失点による減算、アウェーボーナス、対戦相手のレベルが組み込まれてはいましたが、

それでもヨーロッパとアジアではかけ離れており、日本よりもドイツが格下のような設計がなされていました。

 

このシステムが変更し、現状のものになったのが2006年です。

過去48ヶ月間の国際Aマッチが対象で、各試合のポイントは、

「結果」×「重要度」×「対戦国の強さ」×「大陸連盟間の強さ」で算出されるようになりました。

 

試合結果↓

勝ち
3点
引き分け
1点
負け
0点
勝ち(PK戦)
2点
負け(PK戦)
1点


試合の重要度↓

・ワールド本大会
4.0点

・大陸選手権の本大会

コンフェデレーションズカップ

3.0点

・ワールドカップ予選

・大陸選手権の予選

2.5点 

・親善試合

東アジアカップなどの小地域選手権

1点

対戦国の強さ↓

FIFAランキング1位
200点
FIFAランキング2〜149位
(200–対戦国のFIFAランキング)点
FIFAランキング150位以下
50点 

大陸連盟間の強さ

南米サッカー連盟
1.0点
欧州サッカー連盟
0.99点

その他の大陸連盟

0.85点

以上のように決定されています。

 

上記の4つの値を掛け合わした数字が、各国際Aマッチでの獲得ポイントです。また、48ヶ月の中でも12ヶ月ごとに4分割し、それぞれ12ヶ月の期間で獲得ポイントを合計し、消化した試合数の平均値で算出します。

得られた12ヶ月ごとの平均値を直近から100%、50%、30%、20%の割合で合算して生まれた数字から最終的にランキングが決まります。

最も大事なのは、強い国とたくさん試合をして出来るだけ勝つことです。そうすれば自然とFIFAランクは上がります。

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堂安律選手は東京五輪で活躍する?オリンピックシリーズ

東京オリンピックまで、残すところあと数ヶ月になってきました!東京での56年ぶりのオリンピック開催ということで、盛り上がっていますでしょうか?みなさん、オリンピックと言えばどの竸技に注目していましか?野球、マラソン、陸上、水泳などなど。見所盛りだくさんだとは思いますが、今回は、そんなオリンピックに向けて、サッカー日本代表についての特集記事を書いてみました。今回は、堂安律選手です。

Photo by "MBS"

堂安律選手とは

 

生年月日:1998年6月16日

所属:PSV

ポジション:MF

身長:172cm

体重:70kg

堂安律選手は、兵庫県尼崎市出身で、まだ21歳の若き有望なレフティです。中学校へ進学する際に、ガンバ大阪セレッソ大阪名古屋グランパスエイトのジュニアユースからオファーを受けた末に、ガンバ大阪ジュニアユースへ入団しました。ジュニアユース時代の2012年に史上初となるU-15年代全国三冠を達成。

Photo by "ゲキサカ"

そして、16歳11か月11日でクラブ最年少でのリーグ戦デビューを果たすと、翌2016年にはトップ昇格を果たしました。カテゴリー別代表では2014年にU-16代表に入り、AFCアジア選手権に出場。2018年には、U-20W杯にエースとして出場している。オリンピックの日本代表にも選出されたり、キリンチャレンジカップウルグアイ代表からゴールを決めるなど、A代表B代表ともに存在感を発揮している。左右両方をこなせる攻撃的MFとして早くから頭角を表し、2017年にはオランダのエールディヴィジフローニンゲンへ移籍後10 得点をあげる活躍。2019年からはリーグ名門のPSVに移籍しています。

Photo by "ゲキサカ"

 

 

堂安律選手の凄さ

 

堂安選手は、若手版バロンドールに当たる賞「コパ・トロフィー」の候補者10名にノミネートするほどの世界的評価を得ています。あの名監督、ジョゼップグアルディオラ監督も「非常にエキサイティングな選手」と語っています。

果たしてどこがすごいのでしょうか?3つのポイントから解説していきます。

 

【切れ味鋭いドリブル】

 

堂安選手といえばやはり積極的に攻撃を仕掛ける積極性と、個人で状況を打開できるドリブル力です。過去にはFIFAの公式に、「日本のメッシ」と称されたこともあります。

プレースタイル自体はかなり強気で、かなりのキレを元に突破していける選手だです。堂安選手のドリブルは、スピードに乗ったドリブルで、重心が低く俊敏性が高いことが特徴です。また、ボディバランスが優れているため競り合いにも強く、フィジカルコンタクトの勝率が非常に高い選手です。

 

【抜群のシュートセンス】

 

堂安選手の広いシュートレンジ、思い切りの良さは日本人の中でもかなり珍しいタイプです。ガンバ大阪元チームメイトのGK東口選手も、「狭いスペースを見つけて、そこいくかというシーンでいく。仕掛けた後もシュートを振り抜く。Jリーグには振り抜く選手が少ない。律は遠くからも狙ってくるんでGKにとっては非常に嫌な選手です」と語っており、ゴールに向かう姿勢が強いことがわかります。

そして、ゴールへ姿勢もそうですが、シュート自体にも体重の乗った強烈なボールを蹴ることができ、パワーとスピードを両方持ったシュートが特徴です。ファーサイドにもニアにもシュートコースを持っているバラエイティさや、確かな枠内への精度をもつ左足にはこれからも注目です。

また、堂安選手自身も、インタビューでこう答えている。

「オランダに行って、ドリブルが人より長けていると思ったことはない。パスも世界で脅威になるほどかどうか、分からないところはある。その中でパンチ力、一発の振りはトレーニングの時から特徴かなと感じている。そこは負けていないと思っているので」

 

【強靭なメンタル】

 

何といっても最大の特徴はメンタルではないでしょうか?「長友のように明るく、本田のように強靭なメンタルを持ち合わせた人物」と言われるほど。

それはプレーにも現れている。日本代表として親善試合に望んだコロンビア戦で、堂安選手は3本のミドルシュートを放ったが、一度も枠を捉えることができず、試合には敗退してしまった。敗退後、パスではなく自身のシュートという選択をした堂安選手に対してネットでは批判の声も相次ぐ中、インタビューで、

「何を言われても、おれは打ち続けますよ」と語りました。周囲の批判に臆せず、一貫して果敢に挑戦する姿勢は日本人には珍しい強気なメンタルの現れではないでしょうか。

ここまで堂安選手のすごさについて解説してきましたが、逆に足りない部分はどこでしょうか?個人的な意見ですが、ゲームを作り上げる"サッカー力"だと思っています。特にトリニダード・トバゴ戦などにおいては顕著に現れました。足元の技術やシュートに関しては問題ありませんが、やはり若さゆえに経験が足りず、試合を作り上げる賢さがまだ足りない部分だと感じています。ドリブルでの仕掛けや突破を考える積極性のあまり、球離れが悪く自身でボールを持ちすぎてチャンスを潰してしまうことが多々あります。とは言えポテンシャル十分ですので、これからより一層世界の舞台に立ち、挑戦することで飛躍し、日本代表を背負う選手になってくれることを期待しています!

オリンピックではここに期待!

 

Photo by "Sportiva"

さて、オリンピックでの堂安選手の活躍を予想していきたいと思います。今回は、「堂安選手がオリンピックでどのポジションになるのか」「どのようなプレーが期待されるのか」「ポジション争い」の、3つの点から推測してまいります。

 

【どのポジションでプレーする?】

 

まず、森保監督は、現在兼任しているA代表では積極的に4バックをベースにした4-4-2もしくは4-2-3-1のフォーメーションを採用していますが、B代表ではスタートから3バックを基本とした3-4-2-1のフォーメーションを採用しています。というのも、3-4-2-1システムは、森保監督がサンフレッチェ広島時代に、2012年、2013年、2015年と三度のリーグ優勝を果たした時のフォーメーションなのです。また、監督自身も「(3-4-2-1が)日本人に一番合っている」と語っています。

 

 

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小川航基選手とは?東京五輪で活躍する?オリンピックシリーズ

こんにちは。今回も、2020年夏に迫る東京オリンピックに向けたオリンピック特集記事です。ここでは、日本のサッカーB代表チームの選手一人一人にフォーカスし、オリンピックでの見所を簡単にまとめた記事を書いております。みなさんオリンピックの準備はできていますでしょうか?今日特集する選手は、小川航基選手です。それでは早速行きましょう!

小川航基選手とは

 

Photo by フットボールチャンネル

ポジション:FW

生年月日:1997年8月8日

身長:186cm

体重:78kg

小川航基選手は、横浜市南山田小学校、横浜市立中川中学校出身です。その後、桐光学園に進学しています。全国高等学校サッカー選手権にも出場しており、一年生ながら二試合に出場。三年生ではキャプテンとして桐光学園を全国の舞台へ導く活躍を見せています。

2016年からジュピロ磐田に所属し、2017年のルヴァンカップでは、FC東京を相手にハットトリックを決めています。2019年の夏からは、J2の水戸ホーリーホック期限付き移籍を行なっており、加入後三試合連続で得点を入れるなどの活躍を見せています。

また、日本代表でも招集され、結果を残しています。U-18、U-19、U-20、U-21、U-22、U-23A代表と全ての段階で招集されています。2017年のU-20ワールドカップで初戦の南アフリカ戦でゴールを決め、今年の6月のU-22日本代表にも招集され、トゥーロン国際大会2019決勝のU-22ブラジル戦で同点ゴールを記録しています。

特にA代表では、出場試合一試合と少ないながらも、2019年12月14日に行われた東アジアE-1選手権のデビュー戦で、香港を相手にハットトリックを決めています。

ハットトリックの感想を聞かれた小川選手は「とりあえずホッとしたというのが一番大きいですね。1点目は速いパスをもらえたので、一発で前を向ければ、バイタルエリアが空くかなと思っていたので、狙い通りでしたね。FWは1点を取ればノッてくるというのはあるので、もっと点を取れれば良かったかなとは思いますけど。やっぱり『エースは自分だ』ということをみんなに認めてもらえるように、もっと点を取っていけたらと思います」と語っています。

ただ、小川選手は怪我にも悩まされており、2017年5月に行われたU-20日本代表の試合で左ひざの前十字じん帯断裂および半月板損傷の怪我を負ったり、今年の5月にも左足関節外側側副靭帯損傷と判断されています。現在は復帰していますが、オリンピックまでの間に怪我をされないことを祈っています。

 

小川選手の凄さ

 

小川選手の強みは、全部で三つあります。それぞれ特徴を解説していきます。

Photo by サッカーキング

 

 

【高さを生かしたプレー】

 

小川選手の身長は186cmと高く、その高さを生かした空中戦のプレーに強みがあります。特に、現状の3-4-2-1でのフォーメーションでは、両ウィングバックを使った多彩なサイドからの展開が強みでもあります。その中で生まれる多くのチャンスメイクを確実に仕留めることができれば、攻撃陣の薄さが目立つ現状の日本代表を救える選手になると思います。

 

【大型でも遅くないスピード】

 

「大型のフォワードは、スピードが遅い」という概念を覆したのが小川選手です。サイドからのクロスを狙ったゴールパターンが一本化されると、どれだけ空中戦が上手くてもかなりのマークがつくため、簡単にはシュートを打たせてもらえません。

そんな中でも、小川航基選手は攻撃パターンの選択肢を生むことができる選手です。サイドからの攻撃に一本化するわけではなく、ロングボールに反応して積極的に相手CBの裏を抜け出してゴールを決めることが可能な選手です。

これによって、相手のディフェンスラインを下げることができ、スペースを生むことができ、二枚のシャドーが積極的に攻撃参加が可能になります。

特に10月のU-22ブラジル代表との勝負では、小川選手が積極的に相手CBの裏を狙うことでスペースが生まれ、ミドルシュートでゴールに向かう連携が可能になりました。

自身もインタビューでU-22ブラジル戦に対してこう語っています。

「僕が裏を狙って相手のディフェンスラインを下げて、それがミドルシュート3発に繋がったのは良かったですけど、僕自身もいい動き出しでボールを引き出した場面があったので、仕留められなかったという悔しさがありました。チームが勝ったのは嬉しかったですけど、僕自身はモヤモヤしていたというか」

大金星に導いた活躍でしたが、自身で決め切ることができなかった点に対して後悔しており、アグレッシブにゴールを狙っている積極性が伺えます。

その積極性は数字にも現れており、リーグの1試合平均シュート本数は3.2本とかなりいい標準です。

 

【足元の技術】

 

また、足元の技術にも定評があります。セットプレーでの空中戦、相手CBの裏への抜け出し以外にも、ドリブルで持ち込んでシュートをうつような個人の突破スキルも高いことが驚きです。左右どちらでもボールを扱うことができ、厳しい体勢からでもゴールを狙える点も魅力的です。

以上からわかるように、小川選手の強みはなんと言っても攻撃面での多彩さと言えます。「私が求めるFW像は何よりもゴールを取れる選手」と森保監督が公言しているように、多くの選択肢をもつ小川航基選手はオリンピック代表として有力かと思われます。

小川選手もインタビューで自身の強みを聞かれた際に、

「ゴール前での仕事の部分、いろいろな形で点が取れること。それは自信があります。あと、僕は雰囲気も重視していて。相手に「こいつ、何かやるんじゃないか」という、味方に「あいつなら、何かやってくれるんじゃないか」という雰囲気をいかに醸し出せるか。東京オリンピックという大舞台では、持っている選手しかやれないと思っていて、僕は自分がそういう雰囲気を持っていると信じている。その自信はあります。」

と語っています。

このように多彩な選択肢をもつフォワードは、相手DFにとってもかなり脅威な存在になります。サイドからのポストプレー以外にも裏への抜け出し、ペナルティエリアでの動きなど、複数の守備パターンにマインドシェアを奪われるため、隙を生みやすいです。その隙をシャドーや小川選手自身がゴールへ繋げることができれば最も理想的な展開でしょう。

足元の技術も高さでのプレーもできる選手は、まさしく日本代表が欲しかったストライカーと言えると思います。

 

オリンピックではここに期待!

 

オリンピックでのスタメン有力候補と思われる小川選手ですが、ここでもポジション争いが必死です。

 

 

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中田英寿選手の引退から現在までを追う

こんにちは。みなさん、中田英寿選手をご存知でしょうか?多くの方は彼の日本代表でのプレーや、イタリア・セリエAでの偉業に当時は胸を躍らせたと思います。若い方の中には、名前は知っているけど実際どんなひとか知らないような方もいるかもしれません。そんな方はこちらをご覧ください!レジェンド中田英寿選手が残した日本サッカー史の功績を紹介しています。

さて、今回は、そんな中田英寿選手の引退から現在についてフューチャーしてみました。

それでは参りましょう!

 

いつ?なぜ?引退したのか

 

Photo by サッカーキング

 

 

中田英寿選手は2006年7月3日にブログにて突如引退を表明しました。

これは同年に開催されたドイツW杯を戦い抜いたあとすぐのタイミングでした。

当時の日本代表は、中田英寿選手を中心に3大会連続でW杯に出場していましたが、クロアチアやブラジル、オーストラリアといった強豪国と同じグループに入った末に、2負1分でグループリーグを敗退してしまいました。

終戦のブラジルとの試合直後に顔にタオルを当てながらピッチに倒れこんでいた中田選手の映像は、印象に残っている人も多いと思います。

この敗戦後すぐに、中田選手は引退を発表したのでした。以下、中田英寿による“引退メッセージ”全文です。

■人生とは旅であり、旅とは人生である”

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U-15、U-17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長させてくれた。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”が
きっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”
                                         ひで

以上が全文になります。29才という若さでピッチを卒業し、新たな自分探しの旅へ出た中田選手のコメントは日本中、いや世界中に衝撃が走りました。

あの世界的に有名な元イタリア代表デル・ピエロ選手が

残念なことだ。まだ若いので、後悔するのではとも思う。考え直すように、電話で説得するよ。」と語ったり、

元日本代表監督のイビチャ・オシム監督が

彼以上の選手を見つけるのは難しい。彼はまだ若い。再びプレーするのであれば、代表に入る余地はある」と語るほど世界に衝撃を与えたといっても過言ではありません。

また、イギリスのガーディアン誌でも「20代で自ら引退したフットボーラー」という特集記事でも真っ先に紹介されており、

全ての人が彼を小さな宝石と呼んだ」
「偉大な功績の一方、バロンドールに3度ノミネートされた中田は、クロアチア(実際はブラジル)との2006年W杯最終戦の後に29歳で引退を発表して、より大きな喪失感を残した。世界中が唖然とした

と取り上げられており(他にも有名なイタリアやスペインのサッカー誌でも同様)、世界的なビッグニュースだったことがわかります。

 

なぜ引退したのか?

 

中田英寿選手は、後になって引退の真相を初告白するとともに、現役復帰の可能性もあったことを初めて明かしました。

インタビューを受けた中田選手は、引退会見を行わなかった理由について「引退会見って逆に、する人ってそんなにいるの? ヨーロッパで引退会見って見たことある?」と説明しました。けがが原因での引退だったのか問われると、「あの時はもう治ってたし、肉体的にどうこうということではない」ときっぱり否定しています。

 

 

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中田英寿選手の残した伝説とは?あのトッティとスタメン争い?

中田英寿選手をご存知でしょうか?言わずと知れた日本サッカー界のレジェンドの一人です。今もなお語り継がれる功績をもっています。マイアミで奇跡を起こし、ジョホールベルで世界への切符を初めてもたらしました。20才以上の方でしたらほとんどが知っていると思いますが、実は大学生以下の若い世代の中には、知らないという方もちらほら見かけます。日本サッカー界では屈指の知名度を誇る彼ですが、ここで再度中田英寿選手のサッカー界に残した伝説について、まとめてみたいと思います。

 

 

中田英寿選手とは?

 

名前:中田英寿(なかたひでとし)

出身地:山梨県甲府市

生年月日:1977年1月22日(現在42才)

身長:175cm

体重:72kg

ポジション:MF(ミッドフィルダー

中田英寿選手は小学生3年生、8歳の時に当時はキャプテン翼の影響でサッカーをはじめました。中学生の頃にはU-15日本代表に選抜され、それ以降は、U-17W杯日本代表・U-20W杯日本代表、アトランタオリンピック日本代表、シドニーオリンピック日本代表、W杯日本代表と順調に選出され、結果を残してきた。実は、初めてU-15日本代表の選抜されたとき、関東選抜の一員であったがレギュラーではなかったため、落選するだろうと思われていた。しかしスタッフに選考理由を尋ねると、「世界で戦うには、少しばかりのテクニックよりもフィジカル面の強さの方が大切。技術面では中田君より上の選手はたくさんいるが、フィジカル面の強さでは、彼はいいものを持っている。そこを評価した」とおっしゃったという。つまり、中学生の頃からテクニックがずば抜けていたわけではないという意外性と、類まれな強靭なフィジカルを持っていたということです。

 

プロ入りから引退までの活躍

 

U-17とU-19のおいて別格の活躍を見せた中田英寿選手は、プロから注目され、Jリーグに加盟する全12クラブ(当時)のうち11クラブからオファーを受けました。それを経て平塚ベルマーレ(現在の湘南ベルマーレ)へ入団しました。以下は高校生の時の中田英寿選手の写真です。この時からすでに当時のインタビューでは、「ヨーロッパでプレイしてみたい」という思いを言葉にしておりました。

 

当時高校生の時の中田英寿選手。Photo by "NEWSエンタメライン"

 

 

ベレマーレに入団当時から期待通りの活躍を魅せ、すぐにベルマーレでの主力選手として活躍しました。19才でU-23の日本代表としてアトランタオリンピックに出場し、20才で日本代表に初選出されました。そしてマイアミの奇跡で日本代表をW杯初出場に導く活躍を見せ、若くして日本代表の司令塔として君臨しました。21歳になると、そんな活躍から、イタリアセリエAペルージャに移籍を果たしました。当時世界最高峰のセリエAにて、デビュー戦で強豪ユヴェントス相手に2得点を挙げる衝撃的なデビューでした。ペルージャの中心選手として10ゴールをマークし、イタリアの有力スポーツ誌グエリン・スポリティーボが選出するセリエA初年度の外国人選手を対象にしたセリエAサプライズ賞に選ばれるなどの非常に高い評価を得ました。

 

ペルージャ当時の中田英寿選手。Photo by "サッカーダイジェスト"

 

 

その後、当時セリエA首位のローマへ移籍し、世界最高峰であったジダンなどを擁するユヴェントスとのアウェイでの王者直接対決で2点差を追い上げる活躍を魅せ、リーグ制覇に貢献。しかし、1998年のフランス大会から2002年の日韓大会、2006年のドイツW杯を全て戦った中田英寿選手でしたが、2006年ドイツW杯のブラジル戦敗退後に電撃の引退報告によって、現役生活に幕を閉じました。後日引退理由については、「ケガは全く関係ない」とケガの疑念を否定し、「僕にとってサッカーは人生であり、家族のようなものでもあります。楽しくてやっていたはずのサッカーを楽しめなくなってしまった。それが自分の人生に対する裏切りだと感じたんです。だから、自分に嘘をついてまで続けたくなかった」と本当の理由を明かしています。

 

何がすごいの?

 

果たして中田英寿選手のどこがこんなにすごいのでしょうか?その秘訣には、大きく3つのポイントがあります。それは、「フィジカル」「パスの精度」「判断力」です。

 

【フィジカル】

 

まずはこちらの動画をご覧ください。中田英寿選手の日本人離れしたフィジカルがわかるかと思います。屈強で大きな海外の選手たちと競り合っても負けず、場合によっては吹き飛ばしてしまうほどの強さを持っています。なんと体脂肪率は当時3~4%だったそうです。また、その強さだけではなく、なかなか倒れない体幹のあるボディバランスも高く評価されていました。世界のどんな選手からタックルを受けても転ばずに戦える日本人選手は、今でも多くはいません。これが中田英寿選手が海外でも臆せず戦えた一因となっています。

 
 
【パスの精度】

 

 

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過去のオリンピックを振り返る 〜リオ五輪編〜

こんにちは。間も無く開催される東京オリンピックに向けたピックアップ記事を紹介するオリンピックシリーズです。

ワクワクする東京オリンピックですが、その前に一度過去のオリンピックでのサッカー日本代表での戦いを振り返りたいと思います。

今回振り返るのは2016年に開催されたリオデジャネイロ五輪です!それでは参りましょう。

 

当時の日本代表チーム 

当時の日本代表の招集メンバーは、

GK

櫛引政敏鹿島アントラーズ

中村航輔柏レイソル

DF

藤春廣輝ガンバ大阪)※オーバーエイジ

塩谷司サンフレッチェ広島)※オーバーエイジ

室屋成(FC東京

亀川諒史アビスパ福岡

植田直道(鹿島アントラーズ

岩波拓也ヴィッセル神戸

MF

大島僚太川崎フロンターレ

遠藤航浦和レッズ

原川力川崎フロンターレ

矢島慎也ファジアーノ岡山

中島翔哉FC東京

南野拓実ザルツブルク

井手口陽介ガンバ大阪

FW

興梠慎三浦和レッズ)※オーバーエイジ

鈴木武蔵アルビレックス新潟

浅野拓磨アーセナル

※所属チームは当時のもの

以上の18人でした。オーバーエイジの3枠は全て招集され、塩谷司選手・藤春廣輝選手・興梠慎三選手が選手されました。

南野拓実選手や中島翔哉選手など、今を時めく海外組みのスター選手たちが活躍したのがリオ五輪でした。

当時から海外のクラブチームで活躍していた選手は南野選手や浅野拓磨選手しかおらず、このリオ五輪を経て多くの選手が海外のクラブチームへ移籍していきました。

そして当時の監督は手倉森監督でした。

フォーメーションは基本的に4-5-1と4-4-2の二種類の布陣で戦いました。

 

戦績

リオ五輪では、日本代表はグループBに入りました。2016年8月5日から11日にかけて試合が行われています。

同じグループBでは、「ナイジェリア」、「コロンビア」、「スウェーデン」、「日本」の4チームが入り、総当たり戦で上位2チームが

決勝トーナメントに進むことができました。

ナイジェリア、コロンビア、スウェーデンA代表ではFIFAランキングでは当時の日本よりも高い強豪国ばかりのグループでした。

また、ナイジェリアは特に若い世代の育成が活発で、2008年北京オリンピックでは銀メダルに輝いています。

早速ですが日本の戦績を振り返りましょう。

1回戦 日本 4 vs ナイジェリア 5

2回戦 日本 2 vs コロンビア 2

3回戦 日本 1 vs スウェーデン 0

全部で1勝1分1負でした。同グループでは、ナイジェリアが日本とスウェーデンに2勝したことでグループ内首位を確定していましたが、

コロンビアが2戦2分、スウェーデン・日本はともに2戦1分1負と、コロンビア・スウェーデン・日本の3チームには全て

終戦次第で2位通過できる可能性がありました。

しかし、3回戦で日本がスウェーデンを下した同日にコロンビアがナイジェリアを破ったため、コロンビア・ナイジェリアの2チームが

決勝トーナメント進出を果たしました。日本代表は勝ち点4を手にしたものの苦い結果となってしまいました。

同大会では、ナイジェリアがそのまま準決勝まで勝ち進み、ドイツに敗れはしたものの銅メダルを獲得しています。

優勝したのは本国ブラジル。銀メダルはドイツという結果に終わりました。

戦術

【4-5-1パターン】

まずは4-5-1から説明していきます。

 

 

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